野球界のレジェンド山本昌

1983年に始まったプロ野球生活

1983年、ドラフト5位で中日ドラゴンズに指名されたことから山本昌のプロ野球生活は始まりました。

186センチと大柄で手足も長い恵まれた体格をしていましたが、野球に関するセンスが高いとは言えない選手でした。

当時の星野監督も、スピードもなくコントロールも良くなかったので、ピッチャーとして大成するとは思えなかったと語っています。

1986年に一軍デビューを果たしますが、翌1987年肘を疲労骨折しこの年のシーズンは終了しました。

1988年、提携するロサンゼルスドジャースでキャンプを行った中日ですが、山本昌はそのままアメリカに野球交換留学という形で残ることになりました。

ここで、彼がその後プロ野球で長く現役を続けられる要因となった、スローカーブ、スクリューボール、そして抜群の制球力を身に付けることになります。

1989年にプロ初勝利を完封で上げます。

入団して5年目のことでした。

この年は9勝、翌1990年に初の2けた勝利を上げ、チームの中心となっていきます。

山本昌のイメージ

変化球とコントロールのピッチャーというイメージを持つ人が多いですが、対戦したバッターの中には、直球が素晴らしかったという感想を持った選手もたくさんいます。

それにはいくつかの理由が挙げられますが、独特なピッチングフォームもその一因です。

ボールの出所が見づらく、バッターからすると急にボールが飛んでくるようなイメージだったそうです。

それに加えて、山本昌のストレートはバックスピンの量がとても多く、初速と終速の差の少ないまっすぐでした。

他のピッチャーと比較しても、ボールが伸び上がってくるようなイメージがありました。

実際に投球に占める直球の割合も多く、45%を超えたシーズンもあります。

ちなみに、彼が記録した最高速度143キロは、43歳の時出したものです。

年齢を重ねるごとに円熟味を増し、ピッチングを磨きあげた結果、50歳で現役という前人未到の領域を歩くことになりました。

積み上げた214勝という記録と共に、実働29年というとてつもない年数も多くのプロ野球ファンの記憶に刻まれています。

怪我の少ない頑丈な体をケアし続け、プロの世界で通用させ続けた努力に対しても、多くの人が敬意を表しています。

最多勝や最優秀防御率、沢村賞など数々の受賞歴もさることながら、長きにわたってファンを楽しませてくれたそのパフォーマンスに、多くの日本人が感動し、共感を呼ぶに至っています。

 

関連リンク
山本昌ブログ 公式